金澤米店の歩み

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2018年3月1日 このたび、新たにHP『玄結び』を立ち上げたわけとは・・・

HPは2001年に友人の協力でつくった『身土不二』が既にあるにもかかわらず・・・。

『身土不二』は、そのまま残します。21世紀に入って、自身は何を目指そうとしたのかの足跡でもあり、基本的に今でもその延長線上に生き活きているからです。

1993年に45歳で23年間の社会科教員を辞し、米屋になってからの四半世紀を振り返ってみるとヒトもモノも変貌しました。21世紀に入ってからは“過ぎたるは、なお及ばざるが如し”の格言が的を射ている「人災」が目立つのが残念です。豊かさの中の心の貧しさに起因していると思っています。でも、そういう現実に対して“憂う心根”を共有する人々が多々いるのも確かです。

まさに、“万物は流転す”であり“無常”を肌で実感している日々を過ごしていますが、今また一つの大きな人類の節目がやって来ているような直観があります。

この四半世紀を遡ってみたとき、最も気になるのは、グローバリゼーションの侵蝕であり、グローバリズムの闊歩です。従来は、国家が最大の権力でしたが、現代は多国籍資本が黒子のように背後から国境を越えて国家・政治をも操り、凌駕するようになってきたと思うのです。政治家の顔は見えますが、彼らの顔は隠れています。貪欲に最大利潤を追求するのがグローバリズムですから、彼らにとっての邪魔者はすべて排除されます。現代の戦争も格差社会も、グローバリズム思想※が操り多くの悲劇を産み出しています。

※グローバリズムの推進者は、“市場万能主義”を主張します。市場競争原理主義ですから、結果は「弱肉強食競争」になります。近代国家は、所得の再配分機能を担うことがその役割だったのですが、それを否定するのです。
また、単一的な価値観を普及しようとしますが、経済的な効率を考えたらそういう志向が出てくるのは必然です。

その結果として、「生命の多様性がある“共生”こそが、愉しく意義がある」という世界観を共有できないヒトが出現し、「食と農というヒトのローカルな生命の根本への思い遣り」が薄まっているヒトが増えているのです。

しかしながら、価値観の“多様性”とローカルな生命の謳歌を容認し合い、“共生”すること、そして“食と農”の生命の循環に“共感”することこそが人類の未来にとって肝心だと思います。

「玄」の色は「黒くて赤味があるもの」をいうそうです。暗く厳しい冬つまり「玄冬」は、一方で、また新たな四季の巡りの準備をする時期でもあり、 美しさや生命力といったエナジーをじっくりと蓄えつつ、いつの日か開花するその時を待ち続ける“祈り”なのです。

「玄」とはすべての色を溶かし込んだ奥深い黒色のことですから、混沌としている今日の世界で、その中から“共生の道”を産み出すという心根のつながり=結びつきを大切にしていくのには、『玄結び』がふさわしい名称だと考えたのです。

生業として選んだ米屋という仕事ですが、お金儲けが目的ではなく、農を営み暮す農村の人々と都市で暮し食む人々を結ぶパートナーが自身の役割と肝に銘じて、米と御飯を通しての心根の繋がりこそが真の儲けであると考えて営んできました。また、それは“確かな実感”でもあり“手応え”でもあるのです。

このHPの『玄結び』の名称は、2011年まで6年間ほど入谷の鬼子母神近くで営んだ“玄米雑穀レストラン”に由来しますが、冬季オリンピックで連覇して金メダルをとった羽生結弦(ゆず)君の名にも表記が似ているのが嬉しいです。

“身土不二”について・・・

「地産地消」的な意味合いで、「身土不二」とは、「人と土は一体である」「人の命と健康は風土が育む食べ物で支えられ、その食べ物は土が育てる。故に、人の命と健康はその大地と共にある。」という意味ととらえていました。

 しかしながら、この十年くらいの間に、腸内微生物や酵素の働きなどが解明され、人間の生命と共に共生している無数の微生物の存在がクローズアップされ、人工物に囲まれて暮す都会人にとって“もっとも身近な自然とは自身の身体である”ということに気づかされました。

 そして、自然環境と疎遠になっている都会人は、腸から人間が生えているといってもいいのではないかと考えるようになりました。土壌の中に豊かな微生物が生息していると健康な根っこから立派な植物が育つように、腸内細菌が豊かだと肉体の健康のみならず、その活動が脳にも届くのです。まさに“心身一如”だったのです。食べ物が身体と精神を育むということです。「生きることは食べること。食べることは生きること。」と多くの人が語ります。

 『肚(はら)』という漢字がある。偏の称の「月(にくづき)」「土」と書きますが、肚を「はら」と読むのは、昔の人は体験的に腸と脳が繋がっていることを知っていたのだと思います。まさに肚(はら)から人間が生えているということの表現です。


※都会人にとって、もはや、身土不二は夢物語になっているのに…。


 『医食同源』とも根っこは同じです。明治時代の人は、四里四方(16km四方)でとれる旬のものを正しく食べようという運動のスローガンに掲げたようです。現代の日本でこれができたら、まずは最高の贅沢といえますし、出来る条件があるとすれば、農村地域のどこかでしょう。

 幸いなことに、気負うことなく、当たり前のように日々実践して生活している人々がいます。彼らには、命の糧を生産しているという自負があると共に 本物を食べ、最高の贅沢(ぜいたく)をしているという自覚もあります。

 その胸を張った農家とお付合いするだけで、その元氣をもらえます。その溌剌(はつらつ)とした元気をこのWebホームページ)でご紹介いたします。

 現代の日本には、食卓の基本がこわれてきている現実があります。農村部の子ども達さえ、コンビニ通いしている現実があります。添加物表示を強く求めねばならない程の工業食品の薬漬けの現実があります。生鮮品の野菜までも、輸入品の洪水に押し流されそうな現実があります。

 「身土不二」が人々に次第に認知・支持され、市民権を得る勢いなのは、そこに理由があると思います。それだけ多くの人々が、外国に食物を依存している現実、 食生活改善がその治療には欠かせないようなアレルギーやアトピーの急増の現実に多くの人々が危機感を抱いてきたということの表れだといえます。

 私は、都会にあって『身土不二』のロマンを追いかけてみたいと思います。そして、共通の想いを持つ人たちと心根の交流をしていきたいと望んでいます。できることから、着実に、一歩一歩進みたいと思います。そのための大切な『始めの一歩』をこのWebに託したいのです。