農業について
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食と農の問題を広く深く考えようと努力する米屋 -都会人が満たしたいのは胃袋だけではない-
農業の実態 20世紀末の30年間の間に、世界の農業は急激な変貌をとげました。途上国では急激な人口増が予想され、21世紀の地球上の食糧不足が心配されています。ところが、農産物にも貿易の自由化の波が押し寄せ、安い外国産農産物の氾濫により各地の在来農業・家族農業は衰退する一方です。 先進国における飽食は一向に改善の気配はみられません。日本でも、農村で、生産効率優先、農薬や化学肥料を多投する農業が推奨された結果、生産性が高まった反面で農民の健康や生命力に富んだ土や生態系が蝕まれました。 |
持続性を忘れた大規模農業 石油に依存する農業や地下水の枯渇を招く農業や土壌を輸出しているのと同じといわれる農業には持続性はなく、未来がない事は分かっているのに、農産物工場と化した米国などの大農園と穀物メジャーは、いけるところまで行こうと遺伝子組み替え作物まで投入し、商品作物の生産で目先の利益を追うのに躍起となっています。 その状況に対して、都会に生活する人、生命を育む農作物の生産から隔離され、買い食べる消費者としてのみ生活している人たちの中にも、今の現状を危惧する人々が多く出てきています。有機農産物に対する関心の、ブームにとどまらない広まりがその証拠といえます。 |
奇人・変人が輝いてきた 今でこそ、有機栽培農家にたいする社会的認知はかなりおこなわれてきていますが、少し前までは各地で「奇人」「変人」扱いされてきたのが、残念ながら現実の姿でした。 しかし、一方で、有機栽培農家のそれぞれの土地柄に応じた個性的な実践は、農文協の「現代農業」で伝えられたり、どこからともなく人づてに農法の研究会で伝わったりして、お互いに刺激し合い、励ましあう関係にあったのです。ですから、何年もの積み重ねが必要な有機米の生産者の世界は狭いともいえるのです。 つまり、周囲から白い目で見られながらも、それぞれのこだわりで長年、土作りに・苗作りに・農法に・頑張ってきた人たちは、ライバルでありながらも良き同志として、認知しあってきているのです。ですから、私がお付合いのある農家同士は、お互いに面識はなくても「その人の名前・その農法は聞いたことがある」というような方が多いのです。 |
今こそ、パートナーシップの強化を! そういう情勢だからこそ、自給自足の延長線上にある農家の食べている健康な作物のお裾分けを都会の消費者がいただけるというベースをもった提携関係の囲い込みが今こそ必要なのです。 シールを頼りにした関係でなく顔も心根も見えるパートナーとしてのお付合いの構築、そのお手伝いも出来たらいいなと考えています。農家とのお付合いをライフワークとしている米屋が担うべき守備分野だと思います。 都会に生活する人が、満たしたいのは胃袋だけでないのですから。そして、農家には、命の糧の生産の担い手として、その担い手として選ばれた者=エリートとして胸を張った生き生きとした生活ぶりを見せて欲しいと思います。人間にとって、本物の豊かさは、どこにあるのか・どういうものなのかを考えさせて欲しいと思います。 農村で家族経営農家が生きる業(生業)として『農』を営むならば、私は負けずに、都会で家族経営小売店として、そのような農家の暮らし振りと作る人の心根も都会人に届け伝えるパートナーとして『商』を生きる業(生業)として、精一杯営みたいと考えています。 |
ペットボトル稲栽培の醍醐味に挑戦の意味!
都会には、田んぼがないから、夏や秋になっても緑や黄金色の稲穂を見かけることはありません。稲穂に手を触れたことの無い子どもたちさえいるはずです。 だから、学校や幼稚園でのミニ田んぼやバケツ稲栽培やプランター稲栽培は、見かけてきましたが、最近では、稚苗の入手が難しいのと土の入手も簡単ではないので、敬遠され気味のようです。 現在でも、農村部の学校では、農家から田んぼを借りて、伝承農家の指導を受けながら米つくりをしていたり、合鴨を入れるところまであったり、育った稲穂から収穫して、おにぎりにして食べるという食育をやっているところさえあるのも 知っています。それだけに、今日の都会に住む子どもたちの実体験の貧しさはか なり深刻だと思っています。 実は、都会育ちの大人自身(親や教師)が稲作を知らないのだから、子どもたちに体験できる機会が与えられるはずがないという状況が問題なのです。 では、どうしたらいいのか? まずは、気軽に取り組める方法を考えたらいいのではないかと思ったのです。調べたら出てきました。☆ペットボトルでの稲栽培☆です。500mlや2Lの空ボトルを横にして穴を開けて、土を入れて栽培するという方法です。提唱している福岡 の大学の先生が10年も前から研究してきたようですから、ただの思いつきという方法ではないので安心です。 この方法の良いところはバケツ栽培よりもさらに場所をとらないところです。また軽いので子どもでも容易に持ち運びできます。 学びは、比べることで気づいたり、発見したりすることから始まりますが、この方法だと何本かの異なる条件のペットボトルという小さな世界での稲の生育を観察することで、その違いを比較し考察することが可能なのが画期的なのです。 同様なことはバケツ稲栽培でも可能ですが、台東区のように庭のある家がほとんど見当たらないという地域では、バケツを何箇所にも置くことは不可能です。ペットボトルでさえ、躊躇う家庭もあるほどなのですから。 バケツ稲栽培では、かつて店頭に置いたことがありましたが、精々二個が限度ですから、条件を変えていくつもの稲の生育を比べるということはできませんでした。また、稲は一年草なので、新しいチャレンジは来年までお預けです。しかし、このペットボトルなら、ちょっとした隙間があれば置けるので、十倍以上の比較が可能だと思います。比べるのは、「土質での違い」「植える苗の本数での違い」「置く場所による日照時間の差の違い」「肥料のあげ方での違い」「品種による生育の時期の違い」「容器による根の張り方の違い」「分けつで増える茎数の違い」「育った稲穂の粒数の違い」「苗を植える時期での違い」「直播きでの生育との違い」etcです。 しかし、今年は初チャレンジなので、泥縄的になったこともあり、まずは来年以降の挑戦の材料集めのようになるかもしれませんが、心強いことに子育て中のお客様の中に、ペットボトル苗や苗を持ち帰っていただけた人たちがいるので、それらの苗の生育との比較もできそうです。 また、来年以降も見据えて、長野の農家から『選別した種籾(こしひかり)』もいただいたので、発芽から育苗にも挑戦してみようと、現地の「コメリ」で育苗箱や培土や覆土も入手してきました。 数枚ですが、学校やこども園にもそれらをプレゼントして、発芽からの観察も先生達に取り組んでいただくことにしました。 今年は、いろいろな失敗があるでしょうが、その原因を知ることで、稲についてのいろいろな学びがあるはずです。どんな失敗が起こるのか今から楽しみです。失敗をせずに立派な稲を育てている農家の偉大さも分かると思うので、それも楽しみです。ただ、面白いのは発芽や育苗と田植えのタイミングなど技術的な方法の知見は農家によって様々なことです。それぞれが自身の数十年の経験から得た知見なのですが、風土によって人間によって、多様性があるのがとっても新鮮でした。また、それによって気が楽になりました。稲の生命力に頼って挑戦すればいいのだと。稲をペットボトルで栽培する体験はまだほとんど蓄積がないのだということで、試行錯誤が大切だと確信して、稚パイオニアのつもりでやってみます。 すでに、千葉と長野から田んぼの土をいただいてきて、その土をバケツの中で水でこねて何本ものペットボトルに詰める作業をしながら、気づいたことがあります。 それは、我々は土を食べているんだなあという実感です。この土から稲が育ち、お米が収穫され、我々の口に入るのですから。そして、その食べたお米が我々の身体になるのですから。われわれは、歩く土なんだなあと気づいたわけです。 ペットボトル稲栽培は、お客様の関心度や反応は、かなり良いと思います。小さな子連れのお客様で、「ベランダで挑戦してみようかしら」と、ガーデニングやミニ野菜栽培の仲間入りの感覚で持ち帰った家族もありました。種籾からのチャレンジも、コップの中での根や芽が出る観察から、親子でやってみようという家族もいます。お米の生命の営みの身近な観察という新鮮な体験です。実は自身も従来の経験で、バケツ栽培だとバケツに植えつけてお仕舞いという感じになりがちだったのですが、このペットボトルやミニカップの栽培だと小まめに水遣りをしたりしながら、一日に何回も様子見をしています。お客様もこのペットボトル栽培だと手軽に観察し面倒を見ることができそうだという見通しの印象を持っていただけるようです。 保育園のお散歩コースに薦めようという人もいます。 毎日、ベランダで写真をとって記録している家族もあります。 観察日記や記録やデッサンを残している人もいます。 他の園に移動した保母さんから、稲苗が入手できないだろうかという相談もありました。 種籾や稲苗の入手が都会では、けっこうハードルが高いのでお米の栽培は敬遠されてきたのですが、ペットボトル空容器で、種籾と稚苗を入手しさえすれば、やる気が湧いてくるようです。さらには「田んぼの土」「育苗用の培土と覆土」「苗箱」「肥料」などを用意できれば、磐石です。さらには、アドバイスをいただける農家がいれば、学びも一層深くなります。そのあたりの諸条件の準備は、都会にいても米屋として長年にわたる農家との繋がりやネットワークがある自身の役割だし、出番なのだと気づかされました。 ペットボトル栽培の今は、水を欠かさないのがポイントらしいですが、遠からず胚乳に蓄えられた栄養分が費消してしまうと根から吸収する土の栄養分が苗の生長を担うのでしょうから、その様子もしっかりと観察してみようと思います。さらには、茎の数が増え、大きくなった葉が水と太陽と炭酸ガスによって光合成を始め、稲が自ら栄養分を造り始める段階もやってくるのでしょう。今後の日照時間や都会の水道水(カルキなどを含む)という問題もありそうですから、まだまだいろいろな展開が待ち受けていそうです。肥料のやりすぎも問題があるそうですから、いろいろな条件の差によって何が生じるのか、奥が深そうです。 |